AOI-CATの日記

2009-10-20Vocaloid、よく出来すぎた依代

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まえがき

お風呂で思いついたので書いた随筆。

幻肢

幻肢という言葉をご存じだろうか。手足などを失った方が、依然として手足の存在を感じることを言うのだそうだ。

攻殻機動隊の欄外に「システムの(人体の)一部を機械化して代行することは可能だが、多くの端末器を除去すると自律神経の出力がほぼ消失する」(p.123)とある。脳だけを残して機械化したとしても、脳へ手足内臓のフィードバック無しでは生きられないのではないか、という文脈である。

一部の欠けた丸い図形が目の前に提示されたら、人は無意識に欠けた部分を補って想像する。錯視などでよく使われる手だ。

全体の一部を見せられたら、人はそれを補ってしまう。

声の主

さあ、あなたがある「声」を聞いたとしよう。声を聞いたからにはその主の姿に思いを馳せるのではなかろうか。

「声」は形を持たない。しかし声がある以上、それを発するものがあるはずだ。そしてそれが声であるならばノドから、つまりヒトから発せられたものだろう。

少々強引だが、声の背後に何者かを見ること自体は普通のことではないか。声には声を発する場所が必要になる、これが声の依代だ。

依代

初音ミクを始めとするVocaloidの姿形は依代である。「声」という現象だけがあるという不安定さがヒトに求めさせた依代である。同様に「声だけを持つヒトガタ」という不完全性は、感情をもつキャラクターをもたらすだろう。

Vocaloidを感情のないロボットのようなものに留めなかったのは、人間の性というものではないだろうか。

キャラクター性について

「声」を受け取った無数の人間により集積されたVocaloidのキャラクター性は、あまりに広大で柔軟で深いものとなっている。

ミクたちの背後には、楽曲や楽曲制作者すら覆い隠してしまうほどのキャラクター性が存在している。そのキャラクター性を生かし、取り入れることは有利にも不利にも働くだろう。キャラクター性を乗り越え、塗り替え、新たに作り出そうとするのはどれほど困難であるか想像に難くない。

ミクたちが獲得したキャラクター性は豊潤かつ多様だ。その依代にはいかなる楽曲や歌詞でも受け入れるのではないかと思わされる。しかし、まっさらな依代、つまり楽曲や楽曲制作者が土台から作り上げるツールとして扱うには柔軟で深すぎるのではないだろうか。

多様性故に多くを受け入れられるのだろう。そして多様性こそが新しい可能性の障害となってしまっているのかもしれない。